コメント: 「風の旅人」公開トーク 〜表現の行先〜を終えて。 鶴岡さま、森晴繁さま
コメント、ありがとうございます。
鶴岡さん、気になさらないでください。ああいう場で、自分のなかにあるモゴモゴとしたものを損うことなく発言したり質問したりするのは難しいですから。
その一瞬で物事が決定するのではなく、その前後を含めて、自分のプロセス全体が大事でしょうし、あのイベントにしても、御友人が言うように、”問いの答えはあのイベントのプロセスそのもの”と感じていただけるならば、それが私達にとっても最高の喜びです。
どんなものづくりにおいても、自分のなかに持ち続ける問いがあって、それに対する答えは、そのプロセス全体に現れるのだろうと思います。
とすれば、現在、具体的な活動としてモノづくりを行っているかどうかというのは、もしかしたら、あまり意味がないのかもしれません。
モノをつくろうが、つくるまいが、全体としてのプロセスが、問いであり答えであるように生きることが、人にとって自然のような気がします。
モノづくりじたいを目的化してモノをつくっても、ただ作ったという事実が残るだけで、そうした自己満足は、けっきょく時が経てば色あせてしまいます。
森永純さんのように、生涯に写真集が一冊だけ。そして、ひたすら波を撮り続けているという生き方の潔さとかカッコよさが広く共有されるようになると、20世紀型の、せわしく物量に存在感を託さねばならないような強迫観念から、多くの人が解放されるでしょう。
同時にそれは、森さんが仰るような、誰がつくったのかわからないけれど強迫観念のように付きまとう「あらねばならない自分」からの解放でもあるでしょう。
私も、森永さんや細江さん達を見ていると、シンプルに、深く、潔く、に徹することの素晴らしいさを感じます。
都会にいても、田舎にいても、日本にいても、海外にいても、その実践を生涯の目標にすることは可能だなあと、改めて思います。
思い切って参加した甲斐がありました。
都落ちして18年。
田舎で暮らしていると、「ありたい自分」が薄れ、「あらねばならない自分」に押しつぶされそうになっていっているのを感じています。
今回年の瀬のこの時期に上京するという暴挙に出たのは、ささやかな抵抗だったのです。
でもよかった。
写真を通して世間を眺める。世間に話しかける。
という作業をこれからもずっと続けていたいと改めて思うことが出来ました
「安易な答に頼ることなく、自分のアンテナの精度アップをしていくこと。」
ですね。
また必ず参ります
ありがとうございました。
こんばんは、先日のトークショウで最後に質問をした者です。一言謝りたくてメールさせていただきました。
なにか自分もやりたいという自己中心的な高ぶりから出てきた問いが、大きな美しい流れに杭を打ち力を損ねてしまったと感じ、大変申し訳なく思っています。本当にごめんなさい。
また、安易な答えに頼ろうとする己の性向に改めて気付かされました。
帰りの電車で、問いの答えはあのイベントのプロセスそのものではないかと、一緒に行った友人に言われ、確かにその通りだと思いました。
無意識に成ってしまう表現を生み出すための配慮は、その作品、音、文、絵の中に息づいていて、またその人自身から発散されたり、醸し出されてたりしている。それをよく見ずにhowto本的安易なところでわかった気になるのはナンセンス。
今まで一人で盛り上がって視野峡窄になりさんざん色々な所で迷惑をかけてきてしまいましたが、以後テンションの高まりを合図に冷静に場をみて行動せねばと思っています。
最後になりますが、今後も風の旅人の動向を楽しみにしています。
いただいた本は持っていたので、この人なら響くのではないかと思う人に送らせていただきます。
コメントを投稿