コメント: 出逢いと献身の写真表現

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 このブログを読んで、写真集を買ってくれた何人かの写真家から連絡があり、写真集よりも、古賀さんのウェブや、風の旅人の誌面の方が断然いいと聞く。写真というのは、写真のセレクトとか構成の仕方で、せっかくの力が殺がれてしまうことがあるので注意が必要だ。
 おそらく、この写真集を作ったデザイナーは、古賀さんが撮った写真の本質的な力を受信できていないのだろうと思う。表紙を見た瞬間に、私は、デザイナーの写真に対する心構えに疑問を感じたが、デザイナーの仕事って、いったいなんだろうと、改めて考える必要があると思う。
 私は、デザイナーであれ編集者であれ、作品の力を引き出す場を作り出すことが仕事だと思っている。見た目のセンスがどうのこうのという言い方を、私は信用していない。見た目のセンスなどというものは、一過性のものであり、すぐに飽きてしまうものだ。何度も何度も繰り返し見たくなり、見れば見るほど味わいが増すこと。それが作品の力を引き出す見せ方だ。
 今回の古賀さんの写真集の表紙は、何度も何度も見ることで味わいを増すような作り方がされていない。奇をてらって人々の視線を少し惹きつけても、それが何だということになってしまう。
 古賀さんは、「浅草善哉」という非常に素晴らしい写真を撮っている。それらの写真は、当人にとっても、現代の社会にとっても、非常に大事なものであり、だから、多くの人の目に触れればいいなあと思い、私は、このブログで紹介した。
 だから、このブログを見て写真集を買った人に対して、私は責任がある。
 写真集というのは、写真家の作品であるべきなのだが、デザイナーの手前勝手な作品と化してしまうことがあるので注意が必要。
 川田喜久治さんが、自分の手で写真集を作り続けてきた理由は、よくわかる。
 昔は、写真家は、写真集を作るにあたってデザイナーと猛烈な喧嘩をしたらしいが、最近は、作ってもらうという意識がたちすぎて、デザイナーや編集者と喧嘩できない写真家が多いらしい。
 だから、70年代くらいまでは、写真集そのものとして魅力的なものが多く出されているが、最近の写真集は、ただ写真を並べただけの冊子が多く、写真集として魅力あるものが少ない。現代でも魅力的な写真集は、写真家が強くコミットしているケースに限られる。分業という意識が強く働き過ぎて、写真家は写真を撮る人、デザイナーはデザインしてくれる人だと一線を引く人が多いが、仕事は整理整頓ではないのだから、そういう一線の引き方で、いい作品などできやしない。
 写真集を作るにあたって、写真家は、デザイナー任せにせず、真剣勝負でデザイナーと戦わなければならないと思う。

久々に覗いて、根底に流れてる何時もの示唆は其処に!デモ本来届けるベキ所には皮肉にも届かない!当然、自分がそれを鳥肌として感じない限り理解出来ない!そう事件になり得ない。正に出逢いは、偶然だろうか?いや日々の経過の心情が共振?それは縁かな?、、、と書くと!だから困るの声が聞こえるが!実は解った様でわかってない!久々に覗くが、前にも書いたけど、休止になり残念だけど!このNETでこの様に、するだけでも十分伝わる気がする!此処に参加出来る形が良い!但しそれは同じ想いでなく!違う想いが其処で、言葉遊びではなく!お互いが何かに気付く、キッカケになればと!それが可能に感ずる!先ず其の為の話合いする!場は存在するが、回って居ない!その原因が感じた事を言わない!出しずらい!先ずこの辺からかな?矢張り、総てのそれ以前から!か、、ここに可能性を感じる。


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