島紀史、マーシャルを語る島紀史のステージで連想するものといえばマーシャル・フルスタック。島氏のマーシャルへの思い入れは人一倍強い。そして、リッチー・ブラックモアへの愛情…。その辺りをじっくり訊いてみました。情熱のロング・インタビューをお楽しみください!
マーシャルとの出会い
YMT(以下Y):それではまず、見たり、聞いたり、弾いたり、いつごろ、どこで?マーシャルとの出会いについてお聞かせください。
島紀史氏(以下S):イヤ「見たり」はもう自分のあこがれのギタリストが全員マーシャル(島さんは英語圏の人同様、マーシャルの「マ」にアクセントをつけて発音されます。)
だったから。15歳位の時かな。アマチュアバンドでライブハウスに出るようになった時に大きなアンプが必要になったんです。ヘビィメタルを演るのにコンボっていうわけにはいきませんよね?もう自然とマーシャルでした。
最初はJCM800時代の1959でした。先輩から譲ってもらいました。Aキャビといっしょに2段積みで。分割払いでね。帳面につけられて管理されました。「毎月キチンと払えよ」って。15~16万円位だったかな?
とにかく憧れのギタリストが全員マーシャルでしたから迷いはなかったですね。
Y:その前にも色々アンプは試された?
S:そりゃ、小さいやつは色々と。でも大きいのはもういきなりマーシャルでした。他にも、ま、持っていたアンプもありましたが、やっぱりハードロック系ですから自然とマーシャルですね。
Y:マーシャルに誘導したギタリストの一番がリッチー・ブラックモア?
S:リッチー・ブラックモア。いっぱいいるんです。リッチーはもう別格です。で、まぁイングヴェイ、そしてウリ・ロート、で~ゲイリー・ムーア。リッチーを筆頭にこの4人の影響が大きいから当然マーシャルに行きつきます。全員マーシャルでしょ?だから、やっぱり自分の好きなギタリストがみんな使っていたからマーシャルになりますよね。
Y:今の若い人たちは、そういう「憧れの人が使っているから」という理由でなくしてマーシャルを選ぶこともあるようです。
S:でも僕の場合も中学生のときにスタジオに行ったらマーシャルがありましたもんね。僕の場合はそれで余計マーシャル度が高くなりましたけどね。でもやっぱり自分が好きな人たちへの尊敬と畏敬の念はずっと持ちつづけていたい。マーシャル以外のアンプを使っていたこともありましたけど、それも好きなギタリストがそのアンプを使っていたからですもんね。コンチェルト・ムーンがデビューして最初の2年位の間かな。
Y:どうしてその後またマーシャルに戻ったんですか?
S:そのアンプにはマーシャルを使うことによって得られる満足感みたいなものがなかったんです。背中に風圧を感じる爆音であったり、コントロールがシンプルであるがための奥深さであったり、そういう満足感は僕のギタリスト人生ではマーシャル以外には得られなかったんです。
マーシャル歴
Y:先輩から譲っていただいたJCM800の1959以降はどうなったんですか?
S:73年製位のピンスイッチの1959を入手しました。それは改造されていてマスターボリュームがついていました。そして、コンチェルト・ムーンのファーストの頃まではその1959を使っていました。97年のそのインディーズのアルバムを発表する位まではその改造された1959を使っていたんです。その後、さっきのマーシャル以外のアンプを買うために手放しました。結局、2000年にダブル・ディーラーのプロジェクトを立ち上げる時に、自分の中で「マーシャルじゃなきゃダメだな」って思ってトレモロつきのまた73年製位の1959を手に入れたんです。と、88年製