Miyake Meets JMD:1~三宅庸介JMD:1を弾く今、三宅庸介のような音楽をやっている人が他に日本にいるのだろうか?少なくともそうたくさんはいないであろう。ピュアでハードでソフトで神秘的でストレートで…たくさんあるギターという楽器の魅力の、今では隠れてしまった部分を大胆に切り出して我々に提示してくれる姿は勇ましさすら感じてしまう。
彼の紡ぎだすボイシングにはいつもノックアウトしてしまう。以前のマーブロの記事では別のことを言ったけれども、今、最もセロニアス・モンクに近いのはビル・フリゼルなどといわれるが、三宅庸介の和声感覚や間や孤高の独自性はロック・ギター界のモンクと言っていいのではないか?この比喩が当たっているかどうかはYosuke Miyake's Strange, Beautiful and Loudの『Lotus and Visceral』を是非聴いてもらいたい。(ライブ・レポートも見てね)
さて、今回はJMDとのお手合わせ。長年にわたってマーシャルを使用し、マーシャルを知り尽くし、それに飽き足らずいまだに研究に邁進する氏の意見は大変勉強になる。テクは完璧、ひたすらよい音を追い求める姿がまったく神経質に映らないところがスゴイ。多くのプロ同様、故障にも全く動じない。機材は二次的なものであることを熟知しているから変に神経質に陥らないのだ。
デジタル・アンプに抵抗があるわけではないんですけど、僕の場合のマーシャルといえば真空管が灯っていてこそあの音が出ているというイメージがどうしても強いんですよね~。
マーシャルは血が通っているように温かい。
マーシャルのサウンドで僕が常々大切だと思っているポイントは、ピッキングした立ち上がりのすぐ後に来る何とも言えないスポンジのように吸収されて連れて行かれる感じ…。特にこれはメロディ・ラインを弾いている時に感じるんですけど、この感じと音を味わうために弾いている、というか弾かされているように思うんです。このJMDはその感じを味わえますね。