編集部員・菊地高弘の「野球楽屋噺」第6回菊地選手と菊池雄星<2>
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5カ月ぶりに生で見た菊池雄星投手の表情は、心なしか強張っているように見えました。
10月14日。花巻東高校野球場のバックネット裏にある小屋。
今回インタビューを担当するライターの武藤桂子さんは、中学時代から今に至るまで何度も菊池投手を取材していることもあって、交わす挨拶も自然と親しげ。
それに続いて、僕は「5月に一度取材させていただいた、菊地と申します」と名刺を差し出しました。
菊池投手はいかにも「覚えていますよ」という微笑をたたえて、名刺を受け取ってくれました。…と本人が書くとどうしても嘘くさくなってしまうのですが、少なくとも僕にはそう感じられたのです。
夏の甲子園から2カ月近く。菊池投手は大人たちに翻弄され続けてきました。
準決勝敗退後に語った「日本にやり残したことがある。でも、メジャーにも行きたい」という言葉が「でも」の前後で切り離され、翌日の新聞紙上には「雄星メジャー断念」と「雄星メジャー行き」の相反する見出しが並ぶ異常事態…。
本人から直接言葉を聞くことができないスカウトは、菊池投手が二枚舌を使っていると勘繰ってしまったのか、「ドラフト戦略のこともあるから早く決めてほしい」と新聞を通して菊池投手にプレッシャーをかける。気持ちはわかりますが、一人の高校生が自分の進路を慎重に悩んでいるだけと考えれば、結構むごい話ですよね。
菊池投手にしても、甲子園の人気者ゆえ外出が制限され、遊びにも行けずにストレスがたまる中、そんな話が聞こえてくれば、内心面白いはずはないでしょう。
救いだったのは、そんなときでも菊池投手が大人だったということでした。
人間不信に陥ってもおかしくない状況にあっても、報道陣の会見に応じて、同じような質問に答え続ける。新聞記者の人も仕事とはいえ、嫌な役回りだと思っていることでしょう。でも、菊池投手の置かれた状況というのは体験している本人しかつらさがわからない「苦行」なのだと思います。
そして僕たちの前で、努めて普段通りに振る舞おうとしている菊池投手の表情が若干強張って見えたのは、決して僕の先入観だけではないはずです。
無理をして時間を作ってくれた菊池投手に「今の心境は?」「進路はどうするの?」というたぐいの質問は野暮すぎました。
それに、そんなことを聞かなくても、菊池投手は実に面白い話をしてくれる希有な高校球児なのです。
この日も「岩手県民論」に始まり、「モチベーションの高め方」「最近思いついたアイデア練習法」「妥協が大事という話」などなど、一筋縄でいかない話題が尽きませんでした。
そして、時間が経つにつれて菊池投手の顔の筋肉が徐々にほぐれていったように感じられました。
取材が一通り終わり、読者プレゼント用のサインボールにペンを走らせる菊池投手を見て、僕はふと「菊地雄星サインボール」と書かれた読者ハガキを思い出しました。
僕はムラムラと「菊地と菊池」につい
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