編集部員・菊地高弘の「野球楽屋噺」第8回

ひとりぼっちのレフトスタンド

 その日、僕はたった一人で西武ドームのレフトスタンドにいました。
 敷き詰められた人工芝と緩やかな傾斜を足の裏に感じながら、両手に携えたトランペットをグラウンドへと掲げ、そっとマウスピースに唇を当てる。
 ――さあ、行くぞ。
 肺いっぱいに息を吸い込むと、すかさずその空気を押し出すように腹筋を震動させる。二酸化炭素のパーセンテージが少し上がったその気体は僕の口からマウスピースを通って管を駆け巡り、高く突き抜けた音となって、ドーム内に轟きました。

パラパ~  パーパパパパ~ラパパ  パラパ~

 必殺仕事人のテーマ。
 かつてはヤクルト・若松勉選手が打席に入った際のファンファーレとして使われた曲としても知られています。
 最後の音を出し切ると、ドームの白い天井あたりから「ほわ~ん」というかすかな反響が聞こえました。僕は今まで辞書に書いてある以上のことを知らなかった「余韻」という言葉のリアルな意味を、この反響とともに体の細胞一つ一つに浴びせることができたような気がしました。
 そしてグラウンドでは、攻撃側も守備側もプレーヤーたちが全員レフトスタンドを向いて、僕に向かって高らかに手を打ち鳴らしてくれているのでした。

 ここまで書いたことはすべて僕の妄想…などではもちろんなく、あくまでもノンフィクションです。
 なぜ西武ドーム? なぜ一人? なぜトランペット? なぜ拍手?
 …といった数々の疑問点があると思いますので、一からお話しさせてください。
 まず事の起こりは、さかのぼること数週間前。高校・大学を通じて同級生だった男からの突然の電話でした。
 その男は僕に向かって開口一番、

「西武ドームで野球しないか?」

 と言いました。

「ほわっつ?」

 と僕が返すと、男は子細を説明し始めました。
 その男の大学時代の友人が、今度結婚することになった。そこで記念に何かしたいということになり、西武ドームでの野球の試合が企画された、…と。
 つまり、僕を助っ人として呼びたいのかな? と思いきや、少し事情が違うようでした。男は言いました。

「うん、一応試合には出てもらおうと思ってるんだけど、その前にトランペットを吹いてくれないかなと思って」

 この「トランペット」については、少し長い説明をしなければなりません。
 実は、僕は小学校4年生からの3年間、ブラスバンドに所属して、トランペットを吹いていたことがあるのです。
 ほとんど女の子目当てでブラスバンドに入った僕は、音楽的才能を著しく欠いていたためトランペットの腕などまったく上達せず。半ば自暴自棄になって、好きなプロ野球の応援歌ばかり吹いていました。
 原辰徳(巨人)、清原和博(西武)、秋山幸二(西武)、立浪和義(中日)、篠塚利夫(巨人)、モスビー(巨人)、江藤智(広島)、池山隆寛(ヤクルト)、広沢克己(ヤクルト)、和田豊(阪神)、福王昭仁(巨人)…。レパートリーは多岐に渡りました。すると不思議なもので、応援歌をたくさん練習していくうちに、トランペットの腕がみるみる上達していったのです。「好きこそものの上手なれ」ということを初めて実感できたのがトランペットでした。
 それから約8年後、僕は大学生になっていました。そのとき、大学で年に2回「球技大会」があり、僕が所属していた落語研究会もソフトボール部門に出場するのが恒例でした。
 落語研究会とは、「何とかして目立って笑いを取りたい」という、生臭いまでの野望の塊ですから、毎回ありとあらゆる仮装をしたりして出場していたのですが、その中で僕が持

編集部員・菊地高弘の「野球楽屋噺」
2010/01/11 20:00



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