将棋親善交流の旅(13号、2000.9.15)

 人間には運命がある。77歳になって、生きたのではなく生かされていることに感謝している。約30年前、プロ同士で対局しない退役棋士になってから、平安是福なりでまずまずの生活に感謝している。(By 原田泰夫)

 良寛和尚の悠々自適、詩の一節「としてにす」の言葉を好み、色紙や茶掛型の和紙に随分書いた。
「くよくよするな、天を見上げる」。時には達観気分が必要で、暗く思いつめるとノイローゼになってしまう。
 陽気で、おめでたい性格。毎日を天国か竜宮城と見ているので、案外長生きするかもしれない。
 
 魅力あるロシア旅行

 「今度はロシアの旅を計画しております。また参加してください。」
 眞田尚裕代表からお知らせが合った。勿論喜んで参加する。
 学士会館の新春の催しに出席した折、鈴木良尚先生の「エルミタージュ美術館は世界一らしい」
 ロシアの話をお聞きした。
 将棋ペンクラブ、関西交流会(5月7日、関西将棋会館)に出席のときには、1月にモスクワへ将棋親善を果たされたロシア通の先生から情報を頂戴した。外国人に日本将棋を指導する、親善対局をする。盤・駒などの将棋用具と入門書、解説本を寄贈することは大きな普及になる。
 約40年前、全国の大学将棋連盟会長の金田一京助先生が、当時本部の若い会長であった小生をお尋ねの上、激励してくださった。
「日本文化の最高のもの、それが日本将棋です。将来必ず日本将棋は高く評価されます。日本文化普及のため頑張ってください」とおっしゃった。
 アイヌ語の世界的権威で、将棋の歴史に詳しい金田一先生のお言葉は忘れられない。
 『竜王戦海外ツアー』ではヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、東南アジアなどの海外支部、外国の強豪も随分お相手した。
「サンクト・ペテルブルグ(ロシア)の旅、8日間」の結論は、喜んで参加し、実績を作り、大変いい思い出になり、行ってよかったと実感している。
 実はロシアゆき、と聞いていささか抵抗があった。
 戦後50年以上経過している。こだわるのはおかしいが、軍隊時代の思い出はよいことばかりではないので、戦友達は心配してくれた。小生の実弟は外語ロシア語卒。前に外語大学長の小川芳男先生とパーティーの同席の際に「原田和夫さんはロシア語の秀才で、大学時代に友達の大学生に先生の代理で教えるほどでした」とほめて下さった。
 弟は20代でこの世を去り、ロシア語のロの字も知らない小生が古都を訪ねるとはこれも運命である。

 イゴールさんに感謝

 サンクト・ペテルブルグの飛行場では、アレクサンドロフ・イゴールさんがお出迎え。それ以来7日間、一行39名に付き切りで視察地、食事、見学の送迎に最善誠実なお世話をして下さった。
 イゴールさんは常に微笑を漂わせ、白面長身、育ちのよさを感じた。携帯電話をひっきりなしに活用、役所の部下にあれこれ指示をしていた。36歳、将来大いに期待された彼の正式な肩書きは長い。『サンクト・ペテルブルグ市政府公式代表日露教育財団「大和」代表、ロシア将棋連盟代表、サンクト・ペテルブルグ知事国際問題アドバイザー』との日本語の名刺を頂戴した。
 知事公舎内のイゴールさんの執務室は三部屋が連なっていた。5階の部屋に通され、日本茶をご
馳走になった。そこは宮殿のごとき豪壮なビルだが、レーニンの執務室、夫婦の寝室を見学、その室内調度の質素ぶりに驚いた。
 レーニン時代の大講堂の壇上で、レーニンが同志に叫んだ席で羽織袴の小生が立って写真を撮っ
てもらった。
 この場面もイゴールさんのはからいである。眞田代表、荻原さん、読売新聞社文化部の西條耕一
記者の一群。西條さんは好人物で写真の名手でもあった。
 4日目『夏の宮殿』見学であったが、小生はホテルで休養、日本総領事館ゆきの連絡待ち。午後
2時ごろ、電話が入る。
「ハラーダサン」
 響きのある女性の声に、ホテルの玄関前に出たが、何もかもさっぱり分からない。羽織袴と下駄の音が目立ったようで、先方から胸と腕に宝石が光る30歳くらいの天女がつかつかと正面に迫り「ハラーダサン」と声をかけ、高級車で運んでくれた。
 領事館まで約1時間。改めてペテルブルグの街、通り、木々の緑、川を見学させていただく。
 上品美人は運転名人、これもすべてイゴールさんの読み筋であった。
 日本国領

2000年発行 | ロシア
2004/09/25 21:36



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