d-torso のはじまり その4

 d-torsoのはじまり(その四)~田舎ライフのはじまり~


 引っ越すと決めてからは一気にコトが運びました。

 20年近く暮らしたとはいえ、東京には全く未練はありませんでしたから
 メンタル的には至極あっさりしたものでした。

 それよりもなによりも、事業自体の空白をつくるわけにはいかないので
 とにかく新しい事業所を探さなければなりません。
 

 (前回からのつづき)


 僕が生まれたのは大分県の国東半島にある安岐町というところです。

 町(まち)と名乗るのが恥ずかしいぐらいの小さな町で
 いまでこそ大分空港があり、進出企業の工場が点在する町ですが
 当時は農業と漁業が中心の(子供なりのイメージですが)
 日本国中どこにでもあるような、サビレきったところでした。


 父親は転勤族のサラリーマンだったので
 この安岐町には二歳半くらいまでしか住んでおらず、
 以後二年ごとの引っ越しを繰り返し、
 安岐町の祖父母が住む実家に帰るのは盆と正月くらいのものでした。


 当然、幼なじみと言えるような友人もいないので
 いざ物件を探す段になると、ツテというのは
 両親の知り合いくらいしかいなくて・・・かなり難航しましたが
 たまたま隣町のお醤油屋さんの倉庫が空くということで
 すぐさま契約を結び、レーザー機とパソコンを運び込みました。


 倉庫はスレート葺き、夏はかなりの高温になるので
 建物の中にホームセンターで買ってきた材料をツギハギして小屋をつくり
 そこに空調機を引き込んでレーザー室にしました。


 とりあえず、これで生産体制はできたわけです。
 

 さて、次は家を探さなければなりません。


 引っ越した当初は実家の二階に寝泊まりしていましたが
 妻も一ヶ月遅れで越してくるのでそうそうゆっくりしてはいられない。。。

 数少ない不動産情報をあたって見つけたのは
 山の中の一軒家(たぶん、間違って建てられたモデルルーム)でした。
 東京の住宅事情を思えば破格の家賃で、庭付きで堂々の4LDKです。
 近隣は同じようなつくりの家が両隣に一軒ずつ、
 その他は広大な空き地でした。

 ここはミカン山を削ってつくった造成地で、四方も山と田んぼだけです。

 >>> 間違って建てられたと言ったのは、
 私たちが出て行った後もいまだに契約者がいない・・・
 最初の三軒(モデルルーム含む)限りの住宅地だからです。
 <<< デベロッパーの思惑が外れたんですね。


 でも自然環境は抜群です。空気は美味しいし、朝夕の山の景色は
 言葉にできないほど美しい。

 東京から越して来た身としては、これこそが「人間らしい生活」なんだと、
 その当時は思ったものです。


 しかし、ここで大きな問題がひとつ。 >>> 車がない。

 ・・・そもそも僕は運転免許を持っていなかったのです。


 言うまでもなく、田舎ライフで自動車は必須です。
 車が無いと生きていけない、といっても過言ではありません。
 なにしろ、スーパーに行くのも、歩けば50分くらいかかるところですから。

 そこで、しばらくは自転車で隣町の工場まで往復しながら
 夕方から自動車教習所へ通う日々が続きました。

 (今から思えばとっても健康的な日々でした)


 そんなこんなで、やっと免許を取って仕事にも生活にも慣れてきた
 その年の夏頃、
 
 一本の電話がありました。


 それは日本産業デザイン振興会からの電話でした。


 この財団法人、言わずと知れたグッドデザイン賞を運営する団体です。
 当然それは僕も知っていましたが。

 その年グッドデザイン賞に応募していたわけでもなく
 まさに唐突な(タナボタの)知らせで

d-torso story
2010/06/29 08:13