d-torso のはじまり その5d-torsoのはじまり(その五)~ビジネスプランをつくる~
前回もお話ししましたが、
グッドデザイン賞(Gマーク)を受賞したからといって
それがすぐ商品の販売に繋がるというものではないのです。残念ながら。。。
>>>当然、僕も最初は期待していたのですが、悲しいかなこれが現実でした。
ただし、メディアの露出が高くなったことは事実です。
特にd-torsoの場合はビジュアルインパクトが強い商品なので
よけいにニュース性があったのだと思います。
新聞、雑誌、テレビと取材がつづき
それをきっかけに、だんだんと人の繋がりが広がっていきました。
(前回からのつづき)
となり町のお醤油屋さんの倉庫を間借りして
設計、製造、梱包発送、すべてひとりでおこなっていたわけですが、
そのころはまだ、自己資金だけで事業をまわしていました。
最初のレーザー設備の購入に資金が必要だっただけで、
僕ひとりですから、固定費も限られています。
材料となる段ボールシートは、もともとそんなに高いものではないので
材料仕入にもそれほどお金がかからない。
>>> 一人でやっていけた、というのはそんなところに理由があったのかも
知れません。
それでも、なんだかんだと要り用はあるわけで
事業としてはあいかわらず赤字が続いていました。
当時アキ工作社の事業はd-torsoと妻のニット事業、二本立てで運営していたので
ほとんどニット事業の利益で生活していたと言えます。
当然、経理も僕がやっているわけで
恥ずかしながら >>> いわゆる「どんぶり勘定」でしたから
なんとなくやっていってる、という曖昧なイメージがあるだけでした。
そんななか、グッドデザイン賞を受賞したことによってマスコミや行政関係の
注目を受けることになります。
当時の新聞掲載の記事や地元TV局のニュースを見て、
仕事場に訪ねて来られる方がだんだんと増えてきました。
最初の出会いは当時、大分県産業創造機構(以後キコウと呼びます)という県内の
中小企業を支援する財団法人に所属する相談員のハタさんでした。
「社長のところは、とっても面白い事業だから県の経営革新の承認をとって
事業を発展させましょうよ!」
経営革新計画?? 説明を受けても当時の僕はよく理解できてなくて。。。
それでもハタさんはちょくちょく仕事場をのぞきにきてくれました。
そして、ハタさんがキコウを退かれることになって、代わりにと紹介されたのが
工藤順一さんという同じく経営相談員の方でした。>>>彼は税理士でもあります。
クドウさんもハタさん以上にd-torsoに興味をもってくれて、ぜひ経営革新に通そう
と。。。そこから二人三脚でビジネスプランづくりが始まります。
クドウさんにはもっとも初歩的なところから・・・
それこそ、貸借対照表と損益計算書の見方から教わりました。
あらためて感謝。です。
ところで、経営革新計画の承認を得るとでどんないいことがあるかというと、
まず第一に、銀行から低金利の制度融資を受けることができる、ということ。
この当時の僕は自分自身のアトリエを建てること、自分にとって最良の仕事環境を
つくること、が第一の目標でした。(これはいまでも変わりませんが)
当時のd-torso事業の売上高は500万円にも満たないくらいで、工場を建てるには
少なくとも4000万円の資金が必要になります。
当然、資金調達には銀行から融資を受けることが必要です。
それまで自己資金だけで運営していた会社がはじめて借り入れをしなければならない。
でも、