d-torsoのはじまり(最終回) d-torsoのはじまり(最終回)
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~アトリエ建設と海外への進出~
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「私のもともとの専門は建築です。」
これは、このシリーズの冒頭に書いたことですが、
実は私にとって d-torso はいまだに建築の延長線上にあるのです。
これについては、なかなか一口には説明できないし、
今回はすでに「はじまり」の終わり(最終回)なので
別の機会に >>> それこそ次のシリーズにでも譲ろうと思いますが、
ただ建築について一つだけ言うと、d-torso事業の当初に思っていたことは
この製品を販売して得た収益で自分のアトリエを建築する、ということでした。
自分にとっての理想的な仕事の環境をつくること。
これがそもそものはじまりでした。
d-torsoの真髄(しんずい)はその構造にあります。
私なりの言い方をすれば、これは自分にとっての「小さな建築」
つまり、小さな建築をたくさんつくって、大きな建築(>>この場合、
アキ工作社の社屋=アトリエということになりますが)と交換すること。
これが事業を始めるにあたって目指した唯一の目標で、動機でもありました。
当然、この建築物の設計者は私自身になる予定でした。
ところが現実はそうそう甘くない。
当初の計算では3000体つくったところでアトリエは建築できる公算でした。
(このことは2001年7月号の日経デザイン誌上でインタビューに応えて
しっかり書かれています。)
もし、1年で3000体売ったらそれこそ純利益はそこそこのものになるでしょうが
同じものを3年かけて売るとしたら、固定費のほうが大きくなって利益はでません。
そんな簡単なことがわからなかったのですから、素人にもホドがある、と
今になって思いますが、実際はじめはそんなものだったのです。
これについては1年経ち、そして2年経ったところで、現実が飲込めてきます。
そうか・・・このままではアトリエは一生涯建たないな、と。
そこで、銀行の融資を受けるためにビジネスプランをつくりはじめる。
>>>これについては「はじまり」シリーズ、その5で書いたとおりです。
そしてもうひとつの問題、自分でアトリエを設計する件。
これについてはもっと早くに悟りました。
d-torso製品の設計・製造をおこなう傍ら自分のアトリエの設計をすること
など時間的にもともと不可能だったです。
なおかつ、自分が建築主で自分自身のアトリエを設計することは
コストコントロールだけを取り上げても、これまた困難なことです。
(建築家が自邸をつくるときに陥るジレンマです)
自分が納得できるような建築を設計するには何年かかるか分からない。
仮に資金があったとしてもです。
そんなとき、出会ったのが建築家の塩塚隆生です。
正確には、出会いは2001年の暮れです。
この年のグッドデザイン賞。私はd-torsoで、塩塚さんは「みんなんかん」
という公共の建物で同賞を受賞しました。それが縁で知り合ったのです。
彼が過去に設計した建物をいろいろと見せてもらううちに
私は決断しました。塩塚さんに設計を頼もう、と。
同じ業界にいましたから同世代の建築家はたいてい知っています。
そして塩塚さんの建築はそのなか