騒ぎのあと‥インフルエンザ騒動から約1ヶ月が経った。
あんなに毎日報道していたのに、学校が再開されると
今度は、あまり騒ぐな‥という感じになって、最近では
あの騒ぎが遠い昔のように感じられる。マスクをした人も
もう、ほとんど見かけない。
‥忘れた頃に、学級閉鎖や、タミフル耐性だ‥などの
ニュースがあるが、多分‥インフルエンザの流行の実態と
報道はマッチしていないのだと思う。
事態の大きさと、報道での騒がれ方は一致しない場合がある。
報道の送り手は、報道の受けてのニーズに応えているつもりだろうが、
本当は、報道の送り手が世間を煽動しているように思われることが
多々ある。
何が真実なのか、何が起きているのが‥分からないことが多い。
しかし、情報はたっぷりあって、分からない実感はあまりない。
メディアリテラシーなるものが必要な所以はここにある。
誤った情報や有害な情報に「戸を立てる」ことはできない。
携帯やPCを取り上げたところで、最終「口コミ」をとめることはできない。
情報はどこからでも広がる。
だったら、やっぱり情報を鵜呑みにせず、取捨選択する力を
育てたほうがいい。
そのためには‥親や指導者(学校や学校外教育の)が権威的になりすぎても
いけないし、子どもを自由にさせすぎてもいけないと思う。相談室で出会う人たちの
多くはとても素直でいい人である。でも、頑固な価値観(たぶん親から教育された
であろう)に縛られていたり、自分自身の価値観を持てずにいろいろな人の影響を
受けやすくなってしまって、どうしたらいいか分からなくなってしまっているように見える。
「こうでなければ‥」と硬くなってしまうと、ガラスのように壊れやすく、
「どんなふうでも‥」と柔らかすぎると、固まらないゼリーのように形を成さなくなってしまう。
親や指導者が程よく自分の価値観を提供し、それとは違う価値観を持つ自由を
与えること。子どもに自由にさせすぎずに、少し制限を加えることが必要ではないかと思う。
「どんな」提供のしかたとか、制限のしかたかが問題なのではない。
(そこに目を向けられがちだが‥)
肝心なのは、親子や指導者と子どもとの間に、意見のやり取りが生まれること
なのだと思う。話し合い‥折り合いをつけること。その作業を通じて、自我は築かれ
ていくのではないか。そうすると、人にも、情報にも圧倒されないでいることができる
ような気がする。
親や指導者が権威的にならないためには‥相手に意見を述べる
機会を与えることも必要だが、まずは自分の「過ちを認め、謝れる」ことが
大事だと思う。謝るためには、ちゃんと自尊感情がなくては謝れない。
子育てや指導に必要なのはテクニックより、大人が自分の自尊感情を育てること
ではないかと思うくらいだ。
つい
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